大寧寺
たいねいじ
 長門湯本温泉のシンボルで、「西の高野山」とも呼ばれる曹洞宗・大寧寺。春には桜、秋には紅葉と四季折々に彩られます。1410年以来の寺史があります。
 大寧寺と千本のぼりの奥には、長門豊川稲荷があります。日本三大稲荷の一つ愛知県豊川市の豊川稲荷と大寧寺が明治維新に関わる秘話によって結ばれているためです。

長門豊川稲荷

千本のぼり



ロマン漂う・・・歴史を支えた偉人・・・墓碑

上杉憲実(うえすぎのりざね)公の墓 室町時代の「関東管領(かんれい)」で、足利学校・鎌倉文庫の再興で名高い。幕府内の政争に疲れ出家した。諸国行脚の後、当寺第4世 竹居(ちっきょ)和尚 に参究し弟子となり1466年に静かに一生を終えられた。⇒もっと詳しく
大内義隆(おおうちよしたか)公と主従の墓 戦国時代の周防、長門など6カ国の守護大名。また、フランシスコ・ザビエルと接見したり、山口を「西の京」と言わしめた大内文化を花開かせた文化人でもある。1551年重臣・陶隆房(すえたかふさ)≪後の晴賢(はるかた)≫の謀反によりここ大寧寺に追われ、当寺第13世 異雪(いせつ)和尚に末後の示戒を請い、自刃した。
威盛院良昌(いじょういん りょうしょう)の墓 良昌上人は、周防の国山口の人。毛利藩士 榎本氏の家臣だったが、主人が亡くなり出家し、「高野山宝性院」に入り、「法印春山」の弟子となった。寛永18年(1641年)「高田八幡宮(穴八幡宮)」に社僧として招かれ、「放生寺」を開創した。

良昌上人のお墓の周りには、「住吉大明神安禅石」(これは、故事にあるように住吉大明神が座禅をされた石。)と良昌上人の建立した「安禅石を示す石碑」が佇む。また、すぐ傍に「榎本遠江就時」の墓があり、良昌上人の元の主人ではないかと思われ、菩提を弔うために老後を大寧寺で過ごし、ここで亡くなったと考えられている。

威盛院光松山放生寺(いじょういん こうしょうざん ほうじょうじ)
所在地 東京都新宿区西早稲田2-1-14



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